たのか、コナギの芽がたくさんでてきました。
こっから先はもう正攻法で草取り!ですかね。
別にほったらかしでもいいような気もするけれど、ここで草をのさ
ばらすと減収は間違いないことが分かっていると、そのまま見過ご
すわけにはいきません。
さて、ボイスに出たり、オセラに出たり、新しいお客さんも増えて
きているので、ここらでぼちぼちホトトギスのパンについてもいろ
いろ書いていきたいと思っているのですが、さて何を書こうとなる
とすぐに田んぼの話になってしまうのはやはり田植え直後という季
節的なものもあるような気がしますが、米かパンかとなると、どう
しても米のほうを優先してしまうのは、パンよりもご飯に合うよう
な野菜ができてしまうという食事事情、それからご飯を食べないと
力がでずに動けなくなってしまうという体質的にもしょうがないこ
となのかもしれません。去年までは家の前の2畝ちょいだけ
だったので沢山とれても一年分にはとても足りなかった(平均10
0−120kgくらい。食べる量は...うーん、月15kgくら
いだから180kgか)けれど、今年からはありがたいことに裏の
田んぼも借りることになったので、これはもう絶対食べきれないほ
ど作ってやるぞうぞうぞう!と気合いが入っているのも確かです。
そうです。パンは売り物!それからおやつ!食事はご飯!これがま
あ正しいパン屋の姿でしょうか(どこが?)
まあパン屋になってからは試作パン、味見用、失敗作、食パンの
耳、売れ残りなどのパンをしょっちゅう食べているので、カロリー
的には米:パンの割合は絶対下がっているはずですが。それとも炭
水化物:その他比が急増しているだけだったり?
が、食べることはさておいて、調理する行為を比べると、米を「炊
く」よりもパンを「焼く」までの複雑な過程には何か神秘的なもの
を感じます。発酵させて成形して、最後の生地の段階まではなんと
かコントロールできている(つもり)のですが、窯に入れてからは
もう後は念じることぐらいしかできません(おうちでパンを作った
方なら分かるでしょう)。白いぽてっとした固まりをこねたりひっ
ぱったり切ったりを延々と続けて、最後に焼くのはほんの何分何十
分ですが、ここで一番劇的な変換を迎えるそのときに直接できるこ
とはもう窯のドアを開けることくらい(ほんとは温度をいじったり
あれこれしてますが。悪あがき?)。例えるなら、菜の花咲かせた
り米ぬかふったりしても、いざ田植えをしてしまったらその後収穫
までできることはもう限られている...あれ、なぜか田んぼがで
てきた。
焼き上がった状態にしても、炊飯器の発明により炊きたてご飯が簡
単に手に入るようになった今、おこげができたり、芯があったり、
べちゃべちゃだったりすることがなくなり、常に安心できる炊きあ
がりが期待できる米に比べ、いろんな顔を見せてくれるパンはまた
おもしろい。ぱかっとクープが割れてばりっと焼けた田舎パン(た
まに開きませんが)、びろーんとのびた焼く前の生地からは想像も
つかないほどふっくらとしたチャバッタ(たまにふくらみすぎます
が)、かっちりと真四角に切れた食パン(たまにまっすぐ切れてま
せんが)...味や匂いのみならず、成形や焼け具合によっても異
なる造形美も楽しませてくれるパンは、こんがり焼けた塩サバやま
んまるの爆弾おにぎりなどのように、やはり食べ物の中でも特別な
地位を保っているということは言うまでもないでしょう。
つづく(多分)
いろいろ書くと気晴らしになります
朝の眠気覚ましにも