もっぱら
家の片付け、冬支度
タマネギの植え付け
ジャガイモの収穫
がメインですが、小豆と黒豆の刈り取りも始めたところです。
続けていろいろやるのはせいぜい1,2時間程度で、だいぶ体力が落ちている感じ。一日ぶっ続けで働いたりするパン屋の仕事がいかにハードなのか再認しました。今やったらぜったい次の日は動けません。
ちょっと休んで今までの生活を見直す機会ができてみると、やっぱり仕事ばっかりというのはよくないのかなあという気もしてきます。
やらなければいけないことがいろいろあって、そのどれをやってどれを後回しにするかというところで、仕事中心というのはつまりこれをやったら収入につながるということ。でも本来あるべきは、自分(と家族)の健康的な生活を維持する(もちろんどんどん良くすることも)が一番にきて、収入はその一部でしかない。もし収入を得ることによってその生活を破壊させるようなことがあったらまったくの本末転倒というわけです。
衣食住、それから趣味や家族友人といった人間関係などがあって、それから仕事(職業)がある。これらを全部ひっくるめたのが一番大事な自分の生活で、これを維持するために多くの場合は沢山働かないといけないわけなんですが、例えば食べ物なんかは働いて稼いだお金で買ってもいいけど、自分ではたけや田んぼで作ったっていいわけです。
(続く)
(続きです)
現代社会というのはとにかく人に働くことを要求しているようです。仕事にいって、お給料もらって、それで生活に必要なものを買って暮らします。仕事にいかなかったら給料もらえませんから、飢え死にするしかなくなります。
仕事していない人(給料もらってない人)だって、誰かがその人の代わりに仕事にいっているからその稼ぎを分けてもらって、それで生きていけます。
パンを焼くのは、つまりそれを売って収入を得るためであって、自分で食べるためではない。パン屋だって、厳密にいうと自分で焼いたパンを売って得られたお金で自分のパンを買って食べるのです。お米農家だって作った米は全量出荷して、食べるお米は自分が米を売って得たお金を払って米屋で買うのです。(まっぴらゴメンだい)
お金がすべての世の中ですから。
それでこれを否定する考えの一つが俗に言う自給自足ではないかと思います。
仕事をする=>お金を得る
ではなくて、
仕事をする=>生活の糧を得る
(また続く)